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金持ち兄さんの日記 > 2010年09月の日記 > 父は、今年か来年に、死ぬ予定だったのかもしれない。
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父は、今年か来年に、死ぬ予定だったのかもしれない。
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前回の日記を書いた後、
「GMOクリック証券で年利15%!?驚きのキャンペーンのようなキャンペーンは、今後はもうないでしょうか?」
というご質問を頂きましたが、残念ながら、こればかりは、僕には分かりません(;^_^A。
ただし、今までに繰り返し言っているように、FXのキャンペーンが今後はドンドンと改悪していくという流れだけは、確実だと予想しています。
借金まみれだった僕の父も、今は、素早くFXのキャンペーンを利用して、着々と現金を増やしていっていますが、まだ利用していない人は、「早い者勝ち」ですので、できるだけ早く利用することをお勧めします。
そして、こうやって種銭を作っておけば、またGMOクリック証券FXのキャンペーンのような話が出てきた場合に、すぐに対応できるはずです。
前回の日記では、僕の家族がたった2ヶ月ほどで、約75万円を獲得したことをご報告しましたが、こういった「お金が落ちているような話」は、素早く動くことが何よりも大切だと思います。
さて、それでは今日の日記です。
僕が父親に会いに行った理由は、いくつかあります。
まず第一に、「母親にお金を借りにきた時の話から想像するに、おそらく、「死」はそう遠くないだろう」と思ったことが挙げられます。
当然のことながら、死んでしまった後では、いくら後で気が変わって、会いに行こうという気になっても、もう遅いですからね。会いに行くのであれば、できるだけ早く、今年中にだと思っていました。
次に、第二の理由として、借金問題を抱えていた頃の日記を読んでいただければ分かるように、あの頃の僕は、ずいぶんと子供でした。
ですから、父親の借金問題に引きずられて落ちていく家族に対して、どうすることもできなかったことが後悔としてありました。
昔は、父親の身勝手な行動を制止することもできず、また、借金問題に対して効果的な対策をうつこともできませんでしたが、「今の自分、今の頭であれば」、どうしようもない父親の借金癖などを上手く制止できるのではないか、と思ったのです。
そして、第三の理由として、「父親という人間を、もう一度、確認してみたかった」ということが挙げられます。
ゴールデンウィークの寂しい思い出…でも書きましたが、僕の父親は、僕が物心ついたときから、子供の世話や相手をするよりも、自分の遊びを優先し、休みの日には、僕と妹を家に置いて、自分は遊び(パチンコ等)に行くという人でした。
そして、僕が高校になった頃から、サラ金からの借金が始まり、そして、僕が大学に通学しているときに離婚して、父親とは絶縁状態になりました。
前回の日記で紹介した、ザ・ノンフィクション
漂流家族 〜竹下家の9年〜(埼玉編) 7では、長女が正社員の仕事がなかなか決まらないことを父親に責められ、自分の父親が自分たち、子供に対して、愛情を持っているのかということを疑問に感じ始めているシーンがありましたが、僕も父親と一緒に住んでいた頃には、こういう気持ちになったことが何度もありました。
無縁社会…僕の父は「無縁死」するのだろうか?では、父親の借金のために、母親が朝8時〜夜19時、夜22時〜朝4時頃まで、自分の身を犠牲にして働いていたとき、母が死にかけたことがあり、僕は、その時の父が許せないという話をしました。
この時なんかがまさにそうで、「この人(父)は、家族に対しての愛情はあるのか?もしかして、家族は、ただの借金を返済させるための道具だと思っているんじゃないか?」と、感じずにはいられませんでした。
しかし、この事について父に確認する機会もなく、離婚が決まり、絶縁状態に入りましたので、家族への愛情について知ることはありませんでした。
僕は、この事も含めて、父親という人間を、もう一度、自分の目で確認してみたいと思ったのです。
そして最後の理由として挙げられるのは、やはり、「情(なさけ)」です。
いわゆる「普通の父親、家庭」ではなかったにせよ、僕は、離婚するまでの間、父親の扶養してもらっていた期間がありました。
もちろん、絶縁状態になる最後の方では、何もかもメチャクチャにされましたが、その前まで世話になっていた「恩」は感じています。
ですから、「親族や友人などに惜しまれて、当たり前の人間として、最期(死ぬ時)を迎えられるチャンス」を、1度だけ、与えてみようという気になったのです。
離婚して絶縁状態になっていた母親に、突然、約8年ぶりにお金を借りにきた時点で、父が、父方の親族など、多くの人たちに迷惑をかけているであろう事は想像できました。
もしそうでなければ、元妻の職場にお金を借りに行くことなど、するはずがありませんからね(苦笑)。
僕は、父が絶縁状態であった元妻にお金を借りにきたことは、「父の周りの人が、もう誰も、父を相手にしなくなった(見限った)ということだろう」と考えたのです。
家族に縁を切られ、親族に迷惑をかけ、そして、友達にも迷惑をかけ、誰に惜しまれるわけでもなく、孤独に死んでいく。
お金に翻弄されて終わる人生…父親がカネを借りにきたの中で、僕が「かわいそうだとは思いませんが、悲しい人生だったとは思います」と書いたのは、こういう父の未来を想像したからでもありました。
父は、すでに60歳を超えており、今までの酒やタバコ、不健康な食生活を考えれば、あと、20年も30年も生きられる可能性は、限りなく低いと予想しています。
平成21年の日本人男性の平均寿命は79.59歳ですが、父の場合は、もしかしたら、65歳には死んでいるかもしれません。僕は、今までの不健康な生活を考えれば、それも驚くことではないと思っています。
ですから、1度だけチャンスを与え、できるだけ早いうちに、父の生活、そして、人間性を立て直し、人に惜しまれて最期を迎えられるようにしてあげたい、と思ったのです。
以上、この4つが僕が父親に会いに行こうと思った大きな理由です。
それでは、まず、僕がどうやって父親の居所を調べたのかについて話したいと思います。
父親の居所を知る方法は、意外と簡単でした。父親の本籍がある役所で、息子である僕が「父親の戸籍の附票」を取りに行くだけで、父親の現住所を知ることができました。
「市区町村をまたぐ住所移動を繰り返した場合でも、戸籍の移動が行われていない場合、ひとつの戸籍の附票の中に全ての住所履歴が記録されることになる」
上記のWikipediaの説明を見ていただければ分かるように、戸籍の附票は、その人の住所移動の履歴を、たった1箇所(本籍地)の請求で知ることができるという、とても便利なものです。
もし、僕と同じように、絶縁状態になっている親族がおり、その人の本籍地が分かっているのであれば、その本籍地を管轄する役所で、戸籍の附票を請求すれば、探したい人の現住所が分かる可能性は高いと思いますので、参考にしてください。
この戸籍の附票(300円)をとったことで、父親の現住所を知ることができました。あとは、
Google Mapを利用して場所を確認し、現地に向かいました。
僕が父親のところに着いたのは、ちょうど、夕方くらいでした。写真を見ていただければ分かるように、父が住んでいたのは長屋タイプの古いアパートでした。
父親の住んでいる部屋番号は、戸籍の附票を見て知っていたので、しばらく外からアパートを眺めた後、僕は父親がいるであろう部屋の前に立ち、ベルを鳴らしました。
父 : 「はい」
と言い、玄関ドアが開きました。
父: 「…はい?」
僕 : 「……………」
父 : 「………!!!兄さんか!?」
僕 : 「……そうだよ」
父 : 「おおぉ〜〜っ!誰か分からんかったが!(名古屋から)帰ってきたっか!まぁ、上がれ。きたねぇとこじゃけんどん(汚いところだけど)」
僕 : 「うん…」
これが約8年ぶりの父親との再会だった。
僕が知っている頃の父と比べると、だいぶ老けているように思いましたが、今から8年前と言えば、父が53歳くらいの時ですから、それから一度も会っておらず、61歳になった父を僕が見てこう感じるのは、無理はないですよね。
父親の部屋は、2(和室6畳×2)Kという間取りでした。中には、テレビと洋服ダンス以外には、ほとんど物がなく、「引っ越してきたばかりではないか?」と思ってしまいそうな状況でした。
父 : 「まぁ、座れっ!」
僕 : 「うん…」
父 : 「久しぶりやねぇ。元気にしちょったか?」
僕 : 「…うん」
父 : 「何で(どうして)帰ってきたっか?」
僕 : 「ちょっと用事があってね…」
父 : 「よく、ここの住所が分かったねぇ」
僕 : 「…うん。役所に行って、戸籍関係を調べたら、簡単に分かった」
父 : 「へぇ〜〜」
僕 : 「…ところで、今年の春頃、お母さんの職場に、カネを借りに行ったらしいね」
父 : 「………」
僕 : 「一緒にいた頃、あれだけお母さんに迷惑をかけたのに、よく今さら、カネを貸してくれなんて会いにこれたわ。離婚してから今まで、お母さんはもちろんのこと、俺や妹のことも、何も考えてなかったやろ」
父 : 「………何も考えてないことはなかったけど…」
僕 : 「心配していたり、気になっているのであれば、家族のために貯金ぐらいしておくだろうけど、今頃になって、自分の都合でお金を借りに来たって事は、それはない(家族のために、貯金はしてない)ってことでしょ?」
父 : 「………」
僕 : 「お母さんから、カネを借りに来たっている話を聞いたときは、どの面下げて、元妻のところに会いにきたのかと人間性を疑ったわ。お父さんと離婚してからの約8年間、俺たちがどれだけ、生活の再生に苦労してきたのか、知りもせんで」
父 : 「…お父さんも、大変だったんじゃ」
僕 : 「はぁ?一人で、自分だけのことを考えて、自分のためだけにお金を使ってきて、そんな生活をしてきたのに大変だった?
俺はね、お父さんが居なくなってから今までの間、払えなくなった学費を払い、奨学金を返しつつ、お母さんの借金も返し、そして、社会に出てからは、お母さんや妹の生活を安定させるために必死に働いてきたし、お父さんの代わりをしてきたんや!
それに実際に今も、65歳からは国民年金しか出ないお母さんのために、いろいろな援助をしている。
本来であれば、父親の役目であることを放棄して、家族を捨て、それからは自分のためだけに生きてきた人間が、俺も今までは大変だった??ふざけるんじゃないよ!」
父 : 「………」
父親を目の前にして、僕は、自分の中に溜め込んでいた怒りを止めることができませんでした。
これまで僕は、父親の代わりを果たそうと頑張ってきましたし、我慢してきたことも多くありました。そして今現在も、母親の老後資金の対策(支援)をするなど、もう何年も前から、同年代の人が、通常、やっていないことを僕はしています。
他人の父親を見聞きして、
「もし、この人の家のように、しっかりとした父親が僕の家にもいたら…」
と思ったことは、一度や二度ではありません。
こういう僕に対して、一言でも良いから、「すまなかった」と謝るのではなく、「(これまで一人で自由にやってきた)自分も、大変だった」と平気で言う父に、怒りが爆発したのです。
怒る僕に対して、父は、何も言えませんでした。
…いや、言う気力さえも残っていなかったという方が適切かもしれません。
僕と話している間、父のお腹は、ぐぅ〜ぐぅ〜鳴っていましたから(笑)。
ある程度、予想をしていましたが、父は、かなり貧窮していました。
部屋の台所を見ると、あるのはカップラーメンの空容器だけでした。
そして、冷蔵庫の中は空っぽで、電気代がかかるからと、電源コードさえも抜いてありました。この状態を見ると、僕が前回の日記で、「ギリギリ間に合った」と言った理由が分かると思います。
父はもう既に、「食べることに困る」という状態に陥っていたのです。
僕 : 「俺が何で今さら、会いに来たのか不思議に思ってるやろ」
父 : 「…お父さんのことが気になって…」
僕 : 「(首を横にふり)違う。そうじゃない。今日はお父さんに、最後のチャンスを与えにきた」
父 : 「最後のチャンス??」
僕 : 「そう。昔からそうやったけど、NHKの番組はよく見てるやろ?そしたら、孤独死とか無縁死という言葉を聞いたことがあるはずや」
父 : 「………」
僕 : 「お父さんのように、家族を捨て、周りの人に迷惑をかけ、自分のためだけに、自由に生きてきた人は、本来、その自由に対する責任をとらなければならない。だから当然、自分が死ぬときに関しても、全部自分で準備をしなければならない。
歳をとって身体が悪くなったからといって、誰が助けてくれるわけでもなく、もちろん、テレビで見たように、家族を捨てた人は、死ぬときも家族が引き取ってくれない場合が多いし、死んだことさえ、長い間、気付いてもらえない場合も多いと聞く。
今の状況のまま、お父さんがひとりで生活を続けたとしたら、おそらく、行き着く先は、テレビで見た無縁死や孤独死やろう。誰に看取られるわけでもなく、気付かれるわけでもなく、死んでいく可能性は高い。
でも俺は、それでも良いと思ってる。
お父さんがこの事を理解しつつも、自分の自由な生活を貫き通すというのであれば、それはカッコいいと思うし、また、それはもう、お父さんの生き方の問題やと思うから、俺や周りがとやかく言うことではないと思ってる。
…ただ、もし、そうではない死に方。
つまり、今までのような自由はなくても、人に惜しまれ、悲しまれ、真っ当な人間として自分の最期を迎えたいのであれば、今ここで、お金の管理をすべて俺に任せることや。
お父さんは、もう60歳を超えとる。今までの自分の生活ぶりを振り返れば、あと、20年も30年も長生きできるとは、自分でも思ってないやろう。
これが最後のチャンスや。
もし、お父さんが今まで通りの自由を選択するのであれば、俺は、この日を最後に、もうお父さんに会うことはない。
それがお父さんの選んだ生き方なんやから、これまで通り、自分の好きなように、自分の自由に対する責任を持って、これからも生きていけばいい。
俺は、どちらを選択してもらっても構わない。
どっちを選択したって、俺に何かプラスがある訳でもないし、いや、むしろ、今のお父さんの経済状況・年齢を考えれば、お父さんの生活支援をする場合、俺にとっては、マイナスの方が多いやろう。
8年前に離婚したとき、もうお父さんに会うことはないと思っていたけど、少なくとも、離婚する前までは、お父さんの世話になっていた事は事実やから、その「恩」がある。
離婚してから今までの間、お父さんの代わりをして家族を立て直したことで、その恩には、十分に報いたという気持ちはあるけど、お母さんや妹のことが落ち着き、一段落ついたことで、お父さんにも、最後に1度だけ、チャンスを与える気になった」
父 : 「…………………」
僕の話を聞いて、父はしばらく考えていました。
しかし、僕が知っている父の性格や弱さを考慮すれば、僕に生活の管理を任せることは分かっていました。
何より、先ほどの台所や冷蔵庫を見ていただければ分かるように、定年になって仕事を失った父は、もう、自分の力だけでは生活できなくなっていたのですから。。
父 : 「…分かった。お前に任せる」
僕 : 「俺に任せる…分かった」
父 : 「ああ。お前に任せるわ」
僕 : 「…分かった。それだったら、今までのような自由はないだろうけど、まともな生活だけは、俺が保障する。ただし、約束を守らなかったり、嘘をついたりしたら、俺はその時点で、お父さんのことからは手を引く。これを忘れないで」
これで僕が話していた通りの展開になったわけですが、僕の心中は、微妙な感じでした。
父が生活のの管理に同意してくれた事については、とりあえず、嬉しく思いました。
しかし、仕事も見付からず、貯金も数百円しかないという、父親の今の状況を考えれば、僕が父のお金の管理をするということは、つまりは、僕の負担が増すということでもあります。
また、この時には、他人やサラ金への借金がどれくらいあるのかも調べていませんでしたので、借金関係については、「フタを開けてみないと、分からない」という状況でした。
父親の借金の金額など、現在の詳しい経済状況を知った後に、支援をするかどうかを決めるのは、何だか卑怯なように感じて、嫌だったのです。
最後のチャンスについて父親に確認をした結果、生活の管理を僕に任せることに同意してくれたのであれば、たとえ、借金が大きくても面倒をみようと思っていました。
上に掲載したのは、サラ金から父への督促状ですが、この時はまだ、たった1週間ほどで、まさか100万円以上ものお金を払うことになろうとは、予想もしていませんでした…(続く)。
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今までに何度も紹介していますが、既に、何十万円もの現金を獲得している人がゴロゴロと出てきていますから、あまりにももったいないと思います(;^_^A。
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