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恋敵に負けても、後に「良かった…」と思える恋愛4


恋敵に負けても、後に良かったと思える恋愛3の続きです。




昌子ちゃんの連絡先・メールを削除したことで、彼女に連絡する方法がなくなった僕は、時間はかかりましたが、自然と彼女に対する想いも落ち着いてきました。



そして、そんな僕の気持ちを後押しするように、僕が彼女と連絡をとらなくなって、しばらくした後、



「昌子ちゃんは、就職して、東京に行ったよ」



という話を友達伝えに聞きました。



これで、彼女の連絡先も知らない、彼女はもう名古屋にはいない、という状態になり、次第に彼女のことを思い出すことも少なくなっていきました。




それから年月が経ち、僕は、



人生において、最大の修羅場



に遭遇していました。




昌子ちゃんに告白してダメだったことを、当時はとても残念に思いましたが、今になって思うのは、



あの時、フラれて良かった!



ということです。




もし、当時彼女からOKをもらって付き合っていれば、「間接的ではあれ、僕の家のトラブルに彼女を巻き込んでいた可能性は、とても高かっただろうな」と思います。

先に何が起こるのかは、誰にも分からないことだと思いますが、当時、彼女に告白をしたときには、僕は、これから自分が遭遇する修羅場のことなど、全く考えていませんでしたからね。




もし、昌子ちゃんを僕のトラブルに巻き込んで、ツライ想いをさせていたかもしれないと考えたら、告白してフラれただけで済んだのは、まさに、



不幸中の幸い



としか、言いようがありません。





実際、当時付き合っていた彼女にツライ想いをさせたことは、今でも心のキズとして、僕の中に残っていますからね。



公開している獲得金額を見ると、正直、今でも悔やみます。



「なぜ、苦労から解放される直前に、
彼女は、僕の元を去って行ったのだろう…」



と。



彼女が僕の元から去っていったのは、2003年1月下旬でしたが、その翌月の初旬に父親と母親の離婚が成立し、僕は、父親の借金による苦しみから解放されました。

そして、獲得金額を見ていただければ分かるように、それから僕の人生は、一気に好転したのです。




例えるなら、父親と闘っていた間、僕は、激しい嵐の中を進んでいたのだと思います。

でも、激しい嵐の中を一人で進んでいたのではなく、支えてくれる彼女がいました。この子は、僕がどんなにおかしな状態になっても、僕のそばを離れず、僕を励まし続けてくれました。


しかし、僕を襲っていた嵐が止む直前に、彼女は僕の元を離れました。

そして、彼女が去ったすぐ後、僕の目の前には宝の山が現れ、それまで散々苦しめられた金銭的な苦労からは、完全に解放されたのでした…。




ちょっと、運命めいたものを感じませんか?




多分、神様が「2つ幸せを与えるのは贅沢すぎる」ということで、片方しか許してくれなかったんでしょうね。これから先、彼女に会うことはないでしょうが、当時、僕を支えてくれた彼女への感謝の気持ちは、この先もずっと忘れることはないと思います。





…と少し話がズレましたが、話を元に戻します(笑)。


昌子ちゃんの連絡先を削除した後、だんだんと彼女のことを思い出すこともなくなった僕が、一度だけ、彼女に連絡をしたいと思ったことがありました。


それは、さっき上の方で書いた彼女を失った時でした。




彼女を失った後、僕は孤独でした。友達には話せない、複雑な家庭の事情も、父親の借金も、別れた彼女には話すことができました。彼女は僕にとって、「唯一の、心のより所」みたいな存在だったと思います。


しかし、その彼女がいなくなったことで、僕には、信用して自分のことを話せる相手が一人もいない状態になってしまいました。




父親がいなくなり、これからは自分が父親の代わりになる事に対する不安。
父親が居なくなったことによって、これから発生するであろう様々な問題。
唯一の心のより所を失ってしまった悲しみ。



色々なものを一人で抱え込み、当時の僕は、人生で一番弱っていました。それで僕は、




「信用できる誰かに、話を聞いて欲しい」




と思ったのです。その時に、僕の頭に浮かんだのが、昌子ちゃんでした。




「昌子ちゃんなら、信用できるし、深い話も聞いてもらえる」



僕はこう思いましたが、彼女は東京にいる上に、僕は連絡先を知りませんでした。




もし、あの時、自分の携帯に昌子ちゃんの連絡先が入ってたら、僕はなりふり構わず、彼女に電話をかけていた可能性は高いと思います。


これを考えると、彼女に最後に会ったあの時、「彼女に絶対連絡できないように」と、彼女の連絡先を自分の携帯電話から削除したことは、とても適切な行動だったと思います。

連絡先が分からなかった事のよって、弱っていて情けない自分を彼女に見せることもありませんでしたし、また、彼女と彼氏の関係に水を差すような事も、ありませんでしたから。




今は、長い一人暮らしの間に色々な経験をして、だいぶ人間として成熟してきたと思いますし、感情のコントロールや恋愛のレバレッジ効果など、恋愛を頭で考えることによって、



「心のリスク回避」



もできるようになったので、あの頃のように恋愛で深く傷付いたり、落ち込んだりすることはないと思いますが、当時はまだ若くて未熟でしたから、恋愛によって瀕死の重傷を負ってしまいました(笑)。




しかし僕は、なんとか瀕死の状態を乗り越えることができ、あの時の出来事をキッカケに多くのことを学び、見違えるように強くなれたと思います。




少し前に、僕を昔から知っているという方から、下記のようなメールを頂きました。



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今日この日記をたまたま拝見しました。私は幼いころからお兄さんを知っていますが、ホントに大きな人になったんですね。ハングリー精神に感銘を受けます。

自分は宮崎に戻り細々と働いていますが、自分には田舎があっています。のんびり仕事をする日向時間の環境もスリルはないけどいいもんです。

これからもこの日記とお兄さんを応援しています。体に気をつけてがんばってください!!

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大きな人になれたかどうかは分かりませんが、「頭の中が昔と別人である」ことは確かだと思います。

メールを下さった方が小学校・中学校の同級生なのか、高校の同級生なのか、誰なのかは分かりませんが、この方からこんな評価をもらえるようになれたのは、「人生最大の修羅場」を経験したことによる影響が大きいと思います。





さて、一度、何もかも失い、それを乗り越えて走り出した僕は、その後、会社を設立しました。忙しい日々が続く中で、昌子ちゃんのこともたまに思い出すくらいだったのですが、あることをキッカケに、再び、昌子ちゃんと再会することになるのでした…。



(続く)




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